今日は敬老の日だったねえ。
みんな、おじいちゃんおばあちゃんに優しくできた?
オレは、もうおじいちゃんがあと一人だけいるだけで、その他のおじいちゃんとおばあちゃんは大往生。
コロナの騒動前だった。
オレ浪人生していたときは、両親を離れて、母方の祖父母の家にいたんだけど、よくしてもらっていたよ。
すっげえ楽しい日々だった。
おじいちゃんとおばあちゃんと三人で暮らすってね、本当楽しいんよ。
親父とお袋と一緒だとケンカばかりだけど、おじいちゃんとおばあちゃんとだと、歳が離れすぎていて流れる時間もなんだか穏やかで本当に面白い。
人生でもっとも楽しかった時間の一つに入るよ、浪人時代。
今はね、高齢者との面会の制限が厳しすぎるというね。
病院で死が近づくお母さんがおられるのに、病院からワクチンを打っていないなら家族の面会謝絶だと。接種証明を出さないと、愛するお母さんの最期にも会わせないと言われ。
他の御兄弟も非接種だったけど、『愛する母の最期に会えないなんて耐えられなかったから打ちました。』と涙されました。— らいおん丸 (@onokid7) September 13, 2022
こんなことってある?
最後の大事な時間を家族と会えないなんて。
あんまりだわ。
世間がコロナを過剰におびえすぎだよ。
高齢者がコロナに感染してお亡くなりになったとしたら本当に残念だけど、それはもう大往生と言って良いよ。
高齢者はもともとただの風邪でさえ、お亡くなりになる。
最後にまったく触れあえないのは、遺される遺族たちも辛いもんがあるよ。
いま、オレはおじいちゃんとは会えない。
100歳近いから、いつ亡くなってもおかしくない。
在宅で介護しているのに、ヘルパーさんが余所の県から人が来ることを断固拒否している。
理由は自分も感染して働けなくなってしまうかもしれないから。
もう大きくためいきだわ。
なんでこんな世の中になってしまったんだろうな。
遺された人達は、最後に会えなかったことを相当に悔やむぞ。
コロナが収束するのを待つ意味なんてないよ。
収束なんかしやしないから。
もうね、ワクチンを普及するために作り出された「コロナへの恐怖」。
これが、本当に許せない。
最後のひとときを奪うのは決してコロナではなく、このいかにも作り出されたコロナへの恐怖感だよ。
恐れることなど一切ないんよね。
もう、マジにコロナ前の状態にしないとだめ。
陽性と判定されただけで人手不足になる、そんな仕組みが絶対におかしいんよ。
それに1日25万人以上陽性者が出続けていた日本で、陽性の判定が出たりなんだり、ってのがまったく意味がないよ。
コロナ騒動前に亡くなったおばあちゃんには、いつでもケアハウスで会いに行けていたよ。
ほとんどオレのこともわからないほど認知症が進んでいたけど、頭をなでてあげたら、微笑んでくれていたのを覚えている。
戦隊モノのヒーローのような大げさなポーズをとって、目をひくこともしていた。
三代目Jソウルブラザーズの流星ダンスも披露したりした。
あのランニングマンのね。
ドタバタドタバタと、もう家族みんなが笑っちゃうくらいのやつ。
当のおばあちゃんはポカーンとしていたけどね笑
でも、それがいいんだよ。
オレ自身もそうやって頭なでたり、踊ったりすることで、「何かをしてあげることができた」という気持ちになれたんよ。
遺されるオレが、孫としてそういうことをしてあげられたってことが、これから長く生きていく間、一生記憶として残る。
もう強烈にね。
おばあちゃんやおじいちゃんのためだけでなく、自分自身のためにもだわ。
これから長く生きる自分自身のためにも、面会は一切制限すべきでないね。
そもそも面会の制限ってなんだ、刑務所かいな。
早く、普通に家族と接することが出来る世の中に戻ってほしいね。
そんなことを思った敬老の日。
それではーーーまたーーーー。